ウレシカが西荻窪に移転します。
ウレシカは絵本や雑貨や陶器を扱っていることもあって、なんの店ですか、とよく聞かれた。僕はその都度に面倒くさくなって、雑貨屋です、と投げ槍に答えていたのだけど、この4年間、カマタが一番力をいれていたのは、間違いなくギャラリーとしてのウレシカだ。
オープン以来、2、3週間に一度の周期で絵を中心に展示を続け、振り返れば、開催した展示は63回になっていて、参加してくれた作家さんの延べ人数も150人以上。ワークショップやトークショー、イベントなどは20回以上も開催した。
積み上がった数字は、作家さんとカマタの情熱、頑張りの証のようで誇らしく思うけれど、実際展示を続けていくのは大変だ。
作家さんに声をかけ、声をかけられ、日程とテーマを決めて、DMを作り、告知をする。作品の搬入と搬出の手間も結構ある。展示期間中は期間中で、人が来なければどうしようと集客の不安に怯え、作品販売の心配も常に横たわっている。
儲かったと思ったことは一度たりともないし、作家さんに満足いくリターンを渡せたのかはわからない。それでも、楽しくなかった回は一度たりともなかった。僕のような人生一発当てて逃げ切ろうなんて思っているヤツでも、作品の熱や手間や技術や希望は伝わるもので、その作品群の中に身を置いているだけで、なんとも幸せな気分になった。経堂のこんな小さな店で展示していただいた作家さん達には、ありがとうございます、しかない。
お客さんにも頭が上がらない。遠方から来る作家ファンの人や定期的に来てくれる近所の方々。必ず友達を連れてきてくれるネット時代からの女性、買うもんないから、と毎回つまみや酒を持ってきてくれる千葉のおっさん、アマゾンで買えばいいのにわざわざウレシカで取り置きをしてくれる親子、毎年体調がいい春先だけ電車に乗ってやってくる病気の女性。子供の通院のために3か月に一回寄ってくれるママさん。口悪いけど、なんだかんだ買ってくれるばあさん。支えてくれたお客さんを挙げれば本当にキリがない。
こんなにたくさんの人から厚意をいただいたら、店をやってよかったと認めざるを得ない。店は、経堂でなければ始められなかったし、経堂でなければ続かなかった。経堂でなければ、人類みな兄弟的な接客を寛容してくれなかった。
この4年間、経堂ウレシカに携わってくれた人、来てくれた人全てに感謝しますなんて一番気持ち悪い言葉しか頭に浮かばないのだけど、本当にそう思ってる。
2014年1月11日 08:39 | |
2周年
ウレシカが5月1日で2周年を迎えた。
会社員時代は、いつか会社を興して、世界にまたがるビックな仕事をして、デッカイ家買って、外車乗って、大型犬飼って、週末はゴルフとフライフィッシング三昧、浮気相手はミスさくらんぼみたいな生活をイメージしていたところがあったので、個人店店主という現状をあの頃の僕がみたら確実に渾身のドロップキックを見舞っているだろう。
ところが、個人店およびお客さんとの繋がりが、面白くて温かいことを、あの頃の僕は知らなかった。
笑和堂店主から大量の野菜をもらい店の冷蔵庫に保管していたら、「今日が誕生日です」と笑和堂で会った夫婦がきた。もらったカリフラワー1個(298円)と1/3飲みかけのメルシャン白ワイン(630円)をあげた。総額500円。
帰り道、パン屋の中から「ダイさん!」と呼び止められた。ウレシカで本を買ってくれた青年がバイトをしていた。「初めての知り合いですよー」と照れながらバゲットと大納言という小豆の入ったパンを薦めてくれた。
500円を支払い、また店に来て、と別れた。
会話がある店はいいなーとニヤけてパン屋を出たら、彼が買ってくれた本は、旅粒という500円の本だということを思い出した。嬉しくなり、さらにニヤけて大股で帰った。
カネや外車やさくらんぼはないけれど、世の中は、モノやカネが廻っていて、温かい人達がいるということを実感できた2年だったと思う。
あの頃の自分に、カウンターのラリアットをお見舞いする気分で、3年目も張り切ってやっていきますので、みなさん、よろしくお願いします。
2012年5月 5日 11:01 | |
冊子
どんだけ格好つけてるんだよ、って感じの文章なんですけど、僕としてはあの旅はやっぱり自分を何かから救ってくれた旅だったんです。その後の人生を一変とはいわないまでも、変えた一生のビックトリップだったんです。
「キャリアに傷がつくし、面接なんかしてもストレンジャーとしかとられないから、旅なんてしないほうがいいよ」と強がっているけれど、心の底では、「旅したほうがいいよ」って言いたいんです。「旅には人生を一発で方向づける力があるんだぜ」と言いたいんです。
表紙とデザインはイラストレーターの嶽まいこさんが描いてくれました。ありがとう。
Hungary is flatter than a pancake
ダイ小林
380円(税込)
ネットでも購入できるようになりました。こちら
2012年3月16日 14:07 | Hungary is flatter than a pancake. | コメント (7)
Hungary is flatter than a pancake. 【1】
「ハンガリーはホットケーキより平ら」
ソフィアの古本屋で買ったガイドブック、「ロンリープラネット・ヨーロッパ編」(Lonely Planet Europe)は、ハンガリーがいかに平坦な国土なのかをホットケーキに例えて紹介していた。
日本を出てから9ヶ月。中国、東南アジア、インド、中東を経て、ヨーロッパに入った。アジアや中東に不気味な恐れを抱いていた出発前。ヨーロッパまで行けば、安全で洒落た旅になると思っていた。憧れのヨーロッパ。辿り着いた感慨は多少あったかもしれない。しかし、重厚な建物、整備された石畳、街ゆく人々の目、都会の早く乾いた空気。安堵するはずだったその全てが、まるで長期貧乏旅行者を拒んでいるかのようだった。途方もない孤独を感じていた。
ユーラシア大陸陸路横断を決意したのは、1年前の6月だった。もっと言えば、高校3年のときに偶然手にした「深夜特急」を読んだあとだったかもしれない。
代々木の小さな製造装置メーカーの営業職として、国内や台湾などの半導体・液晶メーカーに自社の製造装置を販売する仕事をしていた。大した結果も残せずに悶々としていた3年目の春。柔道整復師の学校に通っていた兄同然の友人が、火事で大火傷を負った。蝋燭の火がカーテンに引火したのが原因だった。
「今しかない」と焦った。
いつ何時、事故や病気で自分の命が終わってしまうかもわからない。やりたいことをするべきだ。僕のやりたいことは、この会社で10年間勤勉に働いて、部長になることじゃない。沢木耕太郎のように世界を旅したい。ユーラシア大陸横断だ。25歳のなんとも青臭い決断だった。
ブルガリアの首都ソフィアのユースホステルで地図を広げて頭を抱えていた。
旧ユーゴ圏に入り、イタリア・フランス・スペインの南ヨーロッパ諸国を抜けて、最短距離と時間で目的地のロカ岬に行くか、北上して東欧、中欧、ドイツを経由し、オランダ人の友達レネの住むアムステルダムに寄っていくか。資金が続くかどうかという問題だ。
手元のトラベラーズチェックは、9ヶ月の節約生活にも関わらず、頼りない厚さになっていた。インドで会ったブラジル人女性に奢ったことを後悔した。彼女の食事代や長距離電車賃を負担してしまった自分を責めた。ムンバイで少年団にスラれた600ドルも痛かった。スラれたにも関わらず、直後にマクドナルドのマハラジャバーガーなんか身に余る高価なものを食べたのも反省すべき点だ。決して金がないのに女の子に奢ってしまったり、やけになって必要のないモノを買ってしまうのは僕の悪い癖だ。中国からお腹に巻いてきたマネーベルトは、そんな衝動的な出費も響いて、予定よりかなり薄くなっていた。いくら数えても、西ヨーロッパの物価の高さを考えたら、ドイツやフランスで悠長にビールやワインを楽しむなんて到底できそうにもなかった。
つづく
【2012.1 追記】
旅をテーマにした3月の展示にあわせて、この話の小冊子を販売するになりました。そのため、このブログに掲載していたつづきは削除させていただきました。冊子は大幅に加筆修正したので、もうブログで読んだよ、という方も、調子に乗るな!という方も宜しくお願いします。
詳細は、またお知らせします。
2011年3月 9日 07:02 | Hungary is flatter than a pancake. | コメント (17)
一年前
カマタがネットで何気なく見つけた店舗物件を見に行った。
経堂すずらん通りの物件だ。 正直、僕は店を始めることには消極的で、今まで通りネット販売とウェブ製作、たまにイベントなどなどでいいじゃん、という意見だった。店を始めるには、絶妙のタイミングと価格で買えた武蔵小金井の小さな中古マンションを売らなければいけなかったし、何より絵本や雑貨、ギャラリーとは無縁に生きてきた僕がサポートとはいえ絵本や雑貨やギャラリーをやる自信がなかった。
まあ見るだけ、とありがちな理由で引っ張られて見に行ったその物件は、喜ばしいことにもう契約されていた。仲介をしている隣の不動産屋さんによると、ブルガリア人のパン屋になるそうだ。カマタ的には残念だったけど、この時点でも僕は密かに安堵していた。
しかし、「あなた達、店を探しているの?実はね・・・」とまるで女の子の秘密を教えてくれるかのように不動産屋さんが店内に招き入れてくれた。
聞けば、一ヵ月後に不動産屋を駅前に移転するのでここが空き物件になるという。東欧の絵本やポスターを扱う僕らとしては、隣がブルガリアのパン屋だなんて最高のロケーションのように僕でも思えた。加えて、すずらん通りには、はるかぜ舎さんという素敵な文房具屋さん、ギャラリーカフェのロバロバカフェ、焼き菓子が有名なcura2があった。これはやるしかないっしょ、と始まったのが一年前。
そんな素人丸出しの僕や手作りのボロい店を、温かい目で見守ってくれているお客さん、情熱を注いでくれる作家さん、応援してくれる経堂の個人店の皆さん、友人たちにあのきっかけから一年経った今、この場を使って改めて感謝したいと思いました。作家さんの情熱やお客さんの優しさに恥じないようにやっていきたいと思っていますので、これからもよろしくお願いします。
(写真は6月にやったオカダン祭の展示)
2010年10月18日 21:40 | | コメント (3)
写真展御礼
5月20日から30日まで開催したキューバポスターとダイ小林写真展。「やっちまおう」という軽いノリの写真展だったのですが、たくさんの方にお越しいただきました。
楽しそうに観ていただいている方がいれば嬉しくなり、一瞥して店を出て行かれるお客さんがいれば(多数ですが)落ち込んだりと、なんとも気持ちの振幅がデカい10日間でした。それでも、お客さんとキューバビールを飲んだり、旧い友達が作家っぽくしている僕の展示を大爆笑してくれたりして楽しかったです。
みなさん、ありがとうございました!
さて、お客さんに投票いただいた「ナンバーワン・キューバ人を決めよう」の結果です。
投票総数:121票で栄冠に輝いたのは、10票の葉巻のおじさんでした。
2位は、犬とおじさん(7票)、3位は、白いヒゲの葉巻おじさんとボウズのおじさん(6票)でした。
1位のおじさんには、今度キューバに行くときに、探して賞品を渡したいと思っています。(会えるのか?)
ウレシカでは、楽しい展示やイベントをやっていきますので、今後ともよろしくお願いします!
2010年6月 2日 16:40 | |
キューバポスターとダイ小林写真展
キューバポスター展と写真展をウレシカの店舗でやります!
写真知識まるでなしの僕が、カタコト言葉とゼスチャーで撮影をお願いしたキューバの人達100人以上を展示します。まあ、とりあえず人生を楽しもうよ、という人懐っこい葉巻売りのオジサン、「日本人だー!」と遠くから握手を求めてきたオジサン、「お前の髪、硬そうだな、切らせてくれ」と言う床屋のオジサン、最高の笑顔をしてくれたかと思ったら、「撮影代をよこせ」と言ってきたオジサン、弾けるような笑顔のウェイトレスさんなど、ココロが温まった様々な人達の写真です。
「キューバポスターとダイ小林写真展」
2010年 5月20日(木) - 5月30日(日)
URESICA SHOP&GALLERY(東京・世田谷区経堂)
情熱的でグラフィカルなキューバポスターの展示・販売と
ウレシカの脱線系スタッフ、ダイ小林がキューバで出会った
100人以上の人々や街角スナップなどの写真を展示します。
WEBショップ未掲載のポスターや、メキシコの民芸品や雑貨も一部展示販売します。
2010年5月19日 21:09 | |
東京ー長崎バイク旅 後編
4月24日
早朝、松江市のフェリー乗り場、七類港へ。またしても雨。この朝が最後の雨だったが、雨バイクは心底つらかった。どうすれば楽しくなれるか走りながら妄想したが、お金や権力や平和よりもエロいことを考えるのが雨を忘れるのに一番効果的だった。フェリーの料金は、2等2,840円+バイク2,520円。所要2時間半。大広間の2等室は雑魚寝で楽しい。隠岐の港には友達の奥さん、フミエさんが向かえにきてくれていた。初めてお会いするが90ccのバイクで旅をしているのは僕ぐらいしかいないので、すぐに見つけてくれた。家まで15キロと言われて驚いた。なんでも島の外周は150キロぐらいあるそうだ。隠岐はデカい!隠岐の島に宿る自然の力を感じつつ、よく整備された道を走る。海と山のなんと美しいことか。
それから、モンゴルで知り合ったフルさんが営む針灸の診療所兼自宅に行き、8年ぶりの再会。うれしくて涙がでた。
その後、猟師さんにごっそりサザエをもらったり、本土で教員をしているシモザワさんカップルに岬で出会った。明るい先生シモザワさんの彼女ミヤモトさんはシャイで隠れがちだったがiPhoneの話しを楽しくしてくれた。ありがとう。
帰ってフルさんと飲み屋に行って、隠岐の焼酎を飲んだ。楽しい一日だった。
25日
昨晩、飲み屋で知り合った棟梁の中村さんに誘われて魚の箱詰め作業。発砲スチロールの箱にテトリスみたいに魚を押し込む。丁寧に水揚げ、梱包された魚がトラックでどこかにいってしまった。ちゃんと残さず食べてほしいと勝手に生産者気分。フミエさんと流木を拾いに行き、持って帰れそうなサイズを2つ拾う。午後の便で本土へ戻る。
日本海側の国道9号を西へ。夕日が日本海に沈んでいくのを横目に走った。胸が熱くなった。まだ感動できる。
出雲大社に寄るが、暗すぎて怖くなり入り口を眺めただけ。その後、宿を探しにひたすら西へ。島根はどこまで行っても島根。国道は真っ暗でみんな飛ばしてドキドキ。ホテルはあまり見つからず、ラブホテルに泊まるしかないかな、と不安になりはじめたところに温泉津(ゆのつ)温泉郷登場。迷わず飛び込む。100年の歴史のある、ますやさんに素泊まり。5500円。生き返った。
26日
いざ九州へ。日本海側の国道9号から191号の道は、このバイク旅のハイライトとなった。きらめく日本海と一緒にどこまでも走れる。特に山口県の角島にかかる低い橋は、まるで海面を走っているようだった。美しい国だ。
下関にある友達の実家にアポなしで寄り、お茶をして開門トンネルへ。90ccの通行料は20円。原付だったら人道を押さなければいけなかった。トンネルを抜けるといつの間にか九州へ。一瞬、違う国へ来た感じがしたが勝手な思い入れだろう。国道3号を走り博多へ。都会だ。流木積んでいるので恥ずかしい。
夕方、ウレシカのロゴデザインをしているオカダン・グラフィックに到着。オカダンと2年ぶりの再会。うれしかった。巨峰と柿の果樹園を営む中山姉妹も合流し、鍋を食べる。「記録でもつくりたいの?」と極めて冷静に言われる。
27日
バイクをあっさり諦めてバスで長崎へ。所要2時間で料金2500円。寝ていても到着できる。カマタのお母さんにお会いする。行く先々で「嫁を置いて男一人で何を遊んじょる!早く帰って仕事しなさい」と言われヘコんだと話すと、あなたって意外とナイーブね、と言われてさらにヘコむ。
28日
朝一で長崎手ぬぐいを扱うお店にご挨拶。3年前から取り扱わせください、とお願いしている。その後、バスで博多に戻り、オカダンに昼ごはんを作ってもらい、北九州の港へ。2泊3日のフェリーで東京まで帰る。2等14,470円+バイク9,220円。19時出発で東京に着くのは明後日の5時半。神戸―上海の鑑真号並み。チベット人の女の子を追っかけて鑑真号に乗船していた大学生のことを思い出す。チベットの恋愛について熱く語っていた。彼の恋はどうなったのだろうか。夕日が美しかった。
29日
9時ぐらいに徳島に寄港。船から見る徳島の港も美しかった。その後は船酔いとの戦い。ミイラみたいな格好で寝るしかなかった。
30日
東京到着。吉野家の朝定食を食べたあと、無事に自宅到着。疲れたが充電完了といった感じでやる気満々。これからがんばろう。
今回、バイクの知識もほとんど持たない僕が、'75年製のボロバイクで福岡まで楽しく行けたのは、バイクに大きな故障がなかったことがもちろん大きいですが、出会った人達、再会した友達、いつも黙って行かせてくれる妻の支えなしにはありえませんでした。僕は、いつもいろんな人に支えられてきました。毎回、ありがとうしかありません。このブログで感謝というのは、ちょっと違うかな、とも思いますが、この場を使ってお礼を申し上げます。ありがとうございました。
90ccバイク旅2010
総走行距離:1693キロ(メーター計算)
ガソリン使用量:47.13リットル(給油回数16回)
2010年5月13日 10:15 | | コメント (27)
東京ー長崎バイク旅
4月20日
国道1号線をひたすら西へ。どしゃぶりで寒くて、まったく面白くないがもう戻れない。250キロ走り、浜松到着。スーパー銭湯があったので、ひと風呂あびる。500円。その後、アメリカで会った友達、マイコ夫妻の家に泊まる。セレブマンションで、ビチョ濡れが申し訳ないがほっとした。
21日
朝6時に神戸へ出発。1号線をひたすら西へアゲイン。半キャップのヘルメットはさすがに辛い。リサイクルショップでしっかりしたヘルメットを買う。2100円。快適になった。姫路の中古バイク屋の前でバイクが止まる。ただのガス欠なのに「ちょっとエンジン見てください。」いつも自分は焦ってしまう。 その後、神戸の叔父の家に泊めてもらう。ハチャメチャな僕をいつも優しく受け入れてくれる。この日は280キロ走った。
22日
雨が強いので、神戸でもう一泊。電車で大阪まで行き、東欧雑貨のお店などにご挨拶。ちゃんと仕事もしているぞ、というポーズ。 モンベルのインナーを上下で買う。12000円ぐらいだったが、これがなかったら、その後ヤバかった。商品の前で長らくウジウジしていたけど、ナイス判断だった。
23日
神戸出発。隠岐の島行きのフェリーのために前泊。米子で泊まろうと思ったけど、途中の「温泉」という文字に惹かれ、皆生温泉に泊まる。素泊まり3500円の古いホテル。近くのお寿司屋さんで、地元の獣医さんと知り合う。アルマジロの皮膚病をみてくれ、と言われた話が面白かった。調子に乗って、あまり飲めないお酒を頼んでみる。男一人山陰の旅。飲まないわけにはいかない。なんかカッコいい。しかし、お湯割りで!と頼んだお酒が日本酒だったので店員のみなさんがざわつく。あわてて焼酎に訂正。日本酒はお湯割りしないことを35歳で始めて知った。なんと恥ずかしいことか。カッコつけると大体失敗してきたはずなのに、またカッコつけた。この日は260キロ。
つづく
2010年5月11日 14:52 | |
マスク犬
とりあえず、明日は早朝に出発して、浜松までの250kmを走破する予定です。 その後は、神戸、島根(隠岐の島)、山口、福岡という感じで、友人の家を経由地として、6日後に長崎に辿り着くのが目標です。 最後に、カマタのお母さん宅のネット接続を設定し、ミッション完了です。
ちょいちょいTwitterでつぶやくつもりではいます。
2010年4月19日 18:45 | 中東欧編 |
ウィーンの自転車12
・・・・・。
4日後出発なのに、ブログ書いてたら、なんか不安になってきた。。
2010年4月16日 11:10 | 中東欧編 |
ブダペスト駅で会ったウクライナ女性
その店長Yさんが独立して開いたお店が「1ヶ月予約の取れない焼肉屋」になっていることを友達のブログで知りました。なんでも国産牛が安くて旨く、連日満員だそうです。いきたいなー。
焼肉問屋 牛蔵
東京都練馬区貫井3-10-2 コイケビル 2F
蚤の市のおじいさん
2010年3月29日 10:29 | 中東欧編 |
ウィーンの自転車11
ここの目玉は、地下25mの実際に市民が使用している下水道を見学できるという信じられないもの。直径6m弱の巨大な下水道をチョビチョビ流れる下水からは当然ながら微妙な臭気があり、懐かしくも非常に不愉快で、いやなふれあい。 来館者は僕一人だったので、下水道についていろいろ質問。下水の歴史、下水管の素材、油を流すとどうなるのかなど丁寧に教えていただきました。
ちなみに小平市の下水道は人口予測や都市計画に則って整備されているそうなのでキャパは十分なのだそうです。あースッキリした。
ウィーンの自転車10
切手屋のおじさん
そのたびに僕は「ウレシカの小林です」と自分を自嘲気味に紹介するのですが、コバヤシと呼ばれたくない自分としては、なんか気持ち悪さが残ります。 しかし、ウレシカのダイスケです、というのも初対面の方々には馴れ馴れしくはないか。旅や友達ではなく、何年も何十年も経堂で経営されている諸先輩方に「コール・ミー・マイク」などと言っているようで、あまりにも無礼で、自分の薄っぺらさを露呈してはいないだろうか。コバヤシだと自分がくすぐったく、ダイスケだと場の空気が凍る。毎回、自己紹介の場面で緊張しています。
ウィーンの自転車9
50才のノグチさん(仮名)は、4年前に睡眠薬を大量に飲み、そのまま横に倒れ、圧迫された左足には痺が残ってしまったそうです。でも、今はスネから下が不自由なんですよ、と明るく笑顔。そんなこととは露知らず、じゃあBOSSの金色のヤツで、などと、ちゃっかりコーヒーを奢ってもらっている自分はなんと図々しいのだろうか。今頃になって自己嫌悪。今度お会いできたら、お返ししたいです。
2010年3月 5日 18:07 | |
ブダペストの本屋さん
ここまでだったか、ツイッター。
しかし、アカウントを開設したにも関わらず、ほとんどつぶやくことができません。なぜつぶやけないのかというと、完全に乗り遅れたということもありますが、不特定多数(フォロ頂いた方は、ほとんどお会いした人ですが)に些細なことをつぶやくということに慣れていないというか恥ずかしさを感じてしまいます。
一度、そう考えてしまうと、このつぶやき以下のブログはもっと更新ができなくなり、オロオロしているここ2、3週間です。うーん。
写真は、ブダペストの本屋のゾルジさん。
2010年3月 1日 10:09 | 中東欧編 |
ウィーンの自転車8
自分に言い聞かせてます。
2010年2月23日 09:44 | 中東欧編 |
ポーランド、クラクフ駅売店のおばあちゃん
結局、帰りの袋には、「新編集 忍者ハットリくん1巻」と寄藤文平の「元素生活」の2冊。ハットリくん、癒されるー。
2010年2月12日 13:25 | | コメント (5)
ウィーンの自転車6
太くて硬い骨、しなやかで強い筋肉。
組んだ瞬間、モンゴル人の圧倒的な足腰の強さに驚きました。
ミルキーな食生活、厳しい気候のなかでの放牧生活。そんな彼らの身体能力の高さは、なんとなく想像はできていました。
しかし、僕の対戦相手は、14、5歳。しかも女の子でした。
9年前、ウランバートル郊外の草原でテントを張って寝ていたら、アンパンマンのような顔のあどけない女の子とその弟に相撲をしようと対戦を申し込まれました。小さい弟を何回か投げたあと、恥ずかしそうに挑んできた姉と組んだときのショックというか驚きは忘れられません。まったく歯が立たず、あっさりブン投げられたことよりもガタイの良さが衝撃的でした。
その後、モンゴル勢が角界を席巻し始めた頃、「ほらな、オレはわかっていたよ」という気分で、投げられたことを棚に置き、鼻が高かったです。
引退、残念だなー。
2010年2月 8日 16:07 | 中東欧編 |
ブダペストの屋台ファミリー
毎回、生きていくことを後押しされます。
もっとがんばろう。
2010年2月 5日 10:28 | 中東欧編 |
ウィーンの自転車5
ウジウジしている間に、iPhone包囲網は着々と強まっている。
2010年2月 2日 14:10 | 中東欧編 |
ウィーンの自転車3
これなら長髪過ぎず、黒くて、自然。モテ・ワイルド!(ちなみに今はボウズ伸びかけです)
そして当日、続々と友達がやって来ましたが、カツラをかぶったら恥ずかしくて人の目が見れない。早々と耐えられなくなり、突っ込まれる前に脱ぎ捨て降参。なんであんなに恥ずかしいんだろう。
ウィーンの自転車2
2010年1月22日 14:27 | 中東欧編 |
ウィーンの自転車
2010年1月20日 15:20 | 中東欧編 |
ブダペスト国会議事堂の守衛さん
と今日は思ってます。
2010年1月18日 12:39 | 中東欧編 |
おじさんの犬
自分はというと、また口が開いている!と子供の頃から叱られ続け、30数年。
知人から鼻呼吸を勧められ、口にテープを貼って睡眠したり、割り箸をくわえたりもしましたが、どうも無意識で口が閉じられません。
電車で起きたら、シャツにヨダレ。バスケのドリブル中に興奮してヨダレ。アイスを口に入れる前にヨダレ。もはや犬です。
鼻呼吸、ウィルス云々よりも、しっかり口が閉じてる人間になりたい!
これは強靭な意志と手段で矯正するしかない、夜だけでなく起きている時もだ!、と思いでっかいガムテープを口に貼りつけ、このブログを書いています。
うーん、しゃべりたい。コーヒーが飲みたい。叫びたい。
2010年1月14日 10:16 | 中東欧編 |
通信手段
1999年当時、海外で自分の端末を使い、メールなりHPをアップしようと思ったら大変でした。通信衛星を利用するインマルサット通信、衛星携帯電話イリジウム、各国プロバイダーに電話線を介して接続するローミングサービスなどがありましたが、どれも従量課金制で高額なものでした。そのなかでも板状のアンテナを衛星に向かって広げるインマルサットが笑えるかなと思い、実物を見に行きましたが、機材がデカ過ぎで断念しました。結局、一番安いAT&Tのグローバルローミングサービスに加入しましたが、ホテルや宿では接続が難しく、ほとんど役に立ちませんでした。
それが現在では、多くのホテルでWiFiが完備され、部屋からiPhoneで「今、充電器から火がでました!」などと即座にTwitterに書き込みができます。さらに、それを日本で読んだ友達が、ブダペストで充電器を売っている店をネットで探し、数時間も経たないうちに教えてくれるという時代です。
10年後には、一体どうなっているのか楽しみでもあり、不安でもあります。
自転車レーン
前回は、ブルガリアで買った自転車でのチャリ旅だったので、僕にとっては休息地という感じでしたが、泊まった宿がよくなかった。
円筒形の高層ホステルで、6階にある部屋まで自転車をフラフラで担ぎ上げ、上のベッドには怪獣のようなイビキをかくギリシア人のおっさん。轟音に耐えるため、頭まで被った毛布には南京虫が寄生。全身ボリボリ掻きながら、決して綺麗とは言い難い洋服で観光するも、物価の高さや重厚な歴史的建物、大人の街的な感じが自分のいるべき場所ではない、と思わせました。
そんな苦い記憶のウィーンで、最も印象に残っているのは、自転車の走りやすさです。車道と歩道から区切られた自転車専用レーンが見事に整備され、走っている自転車もそんなに多くはありませんでした。怪獣から逃れられた喜びと南京虫の痒さをお土産に、ウィーンを荷物満載のボロチャリで一周したのを覚えています。
再開
今回は、中欧編!
と鼻息荒くいきたいのですが、キューバと違い、人の写真はほとんど撮れませんでした。
ヨーロッパの都会的で忙しそうな場所では、写真をお願いすることはなんとも気が引けたのに加え、言葉の壁も分厚く、ドイツ語、チェコ語、マジャール語、ポーランド語と寄った4カ国すべて違う言語。「ありがとう」しかしゃべれないのでは、撮影の突破口は開けん、ということが身に染みました。
そんなわけで、スタート初日から写真の少なさに早くも弱気ですが、今年も1年ウレシカ共々よろしくお願いします!
写真は、ブダペストのバスで会ったおじいちゃん。
蚤の市への降車バス停を聞いたのですが、うまく伝わらず、結局この後2回バスの乗り直し(涙)
しばしのお別れ
カップル
2009年1月29日 14:39 | キューバの人 |
フロイランさん
2009年1月28日 10:44 | キューバの人 |
床屋
2009年1月27日 11:57 | キューバの人 |
ムヘール(女性)
2009年1月26日 14:15 | キューバの人 |
ファーマー
2009年1月23日 12:45 | キューバの人 |