長崎にて

先日、法事で長崎に帰省した折り、少し時間が空いたので原爆資料館へ。考えてみたら中学生いや小学生以来じゃない?しかも1996年に建替えリニューアルした資料館へ入るのは初めて。ちょっとモダン建築な館内は螺旋状の通路を降りたところにチケット売場があり、その脇には丸木位里・俊夫妻の「原爆の図」が展示されていました。薄暗い展示室はカチカチとその時刻のカウントダウン(のような時計の音)から始まる1945年8月9日11時2分以後の現在地。正直、気分も足取りも重くなったけれど、過去の出来事としての展示に終わらず、今現在と続く世の中を見つめるための資料で構成されていて(長崎で平和教育慣れし知ってるつもりでいたことにも)一から学び直す場になってよかった。ちょうど東松照明写真展も企画開催されていました(5月6日まで)。

閉館のチャイムに押されるように建物を出て、目の前の公園(平和公園でなく爆心地がある側)へ下ると、訪問者との距離を保ちつつも悠々と寝転がる野良猫たちが点々と。(後で猫好きの幼なじみに聞くと、あの辺は地域猫だと教えてくれた)

翌日、長崎で平和活動を続ける知人に資料館へ行ったことを話すと、少し曇った笑顔で「あそこはキレイになったけど資料は少のうなったもんね。大事なもんは隠してしもうた」と言う。様々な圧力がお役所に事なかれ仕事をさせているという話。空間演出も少しテーマパークめいていて、研究者からすると浅はかな資料館になり下がったのかもしれない。でも、時間の限られた観光客にとっては上手く構成されているし、十分に訪れる価値があると私は思う。

資料館を歩きながら、行きがけ羽田空港で手にし読み始めた梨木香歩『渡りの足跡』序盤の文を思い出していた。自然破壊についての一文なのだけれど、原爆のこと、原発のこと、様々なことがシンクロして浮かぶ。少し引用させていただきます。

...こういう事態に追いやった責任の大部分が人間にあるにしても、その人間もまた nature の一部であるのだし、ならばその欲深さや浅はかさもまたその nature なのだから、この状況こそが、この時代この場所の「生態系」に他ならない。だが、何とか環境の人為的な破壊を食い止めたいと試行錯誤する人々がその種の中に出ることもまた、自ら回復しようとする自然の底力の一つなのだろう。...
梨木香歩『渡りの足跡』(新潮文庫)より

2013年3月11日 | ウレシカの旅