中東欧編:エントリー一覧
とりあえず、明日は早朝に出発して、浜松までの250kmを走破する予定です。 その後は、神戸、島根(隠岐の島)、山口、福岡という感じで、友人の家を経由地として、6日後に長崎に辿り着くのが目標です。 最後に、カマタのお母さん宅のネット接続を設定し、ミッション完了です。
ちょいちょいTwitterでつぶやくつもりではいます。
2010年4月19日 18:45 | 中東欧編 |
・・・・・。
4日後出発なのに、ブログ書いてたら、なんか不安になってきた。。
2010年4月16日 11:10 | 中東欧編 |
その店長Yさんが独立して開いたお店が「1ヶ月予約の取れない焼肉屋」になっていることを友達のブログで知りました。なんでも国産牛が安くて旨く、連日満員だそうです。いきたいなー。
焼肉問屋 牛蔵
東京都練馬区貫井3-10-2 コイケビル 2F
2010年3月29日 10:29 | 中東欧編 |
ここの目玉は、地下25mの実際に市民が使用している下水道を見学できるという信じられないもの。直径6m弱の巨大な下水道をチョビチョビ流れる下水からは当然ながら微妙な臭気があり、懐かしくも非常に不愉快で、いやなふれあい。 来館者は僕一人だったので、下水道についていろいろ質問。下水の歴史、下水管の素材、油を流すとどうなるのかなど丁寧に教えていただきました。
ちなみに小平市の下水道は人口予測や都市計画に則って整備されているそうなのでキャパは十分なのだそうです。あースッキリした。
そのたびに僕は「ウレシカの小林です」と自分を自嘲気味に紹介するのですが、コバヤシと呼ばれたくない自分としては、なんか気持ち悪さが残ります。 しかし、ウレシカのダイスケです、というのも初対面の方々には馴れ馴れしくはないか。旅や友達ではなく、何年も何十年も経堂で経営されている諸先輩方に「コール・ミー・マイク」などと言っているようで、あまりにも無礼で、自分の薄っぺらさを露呈してはいないだろうか。コバヤシだと自分がくすぐったく、ダイスケだと場の空気が凍る。毎回、自己紹介の場面で緊張しています。
ここまでだったか、ツイッター。
しかし、アカウントを開設したにも関わらず、ほとんどつぶやくことができません。なぜつぶやけないのかというと、完全に乗り遅れたということもありますが、不特定多数(フォロ頂いた方は、ほとんどお会いした人ですが)に些細なことをつぶやくということに慣れていないというか恥ずかしさを感じてしまいます。
一度、そう考えてしまうと、このつぶやき以下のブログはもっと更新ができなくなり、オロオロしているここ2、3週間です。うーん。
写真は、ブダペストの本屋のゾルジさん。
2010年3月 1日 10:09 | 中東欧編 |
自分に言い聞かせてます。
2010年2月23日 09:44 | 中東欧編 |
太くて硬い骨、しなやかで強い筋肉。
組んだ瞬間、モンゴル人の圧倒的な足腰の強さに驚きました。
ミルキーな食生活、厳しい気候のなかでの放牧生活。そんな彼らの身体能力の高さは、なんとなく想像はできていました。
しかし、僕の対戦相手は、14、5歳。しかも女の子でした。
9年前、ウランバートル郊外の草原でテントを張って寝ていたら、アンパンマンのような顔のあどけない女の子とその弟に相撲をしようと対戦を申し込まれました。小さい弟を何回か投げたあと、恥ずかしそうに挑んできた姉と組んだときのショックというか驚きは忘れられません。まったく歯が立たず、あっさりブン投げられたことよりもガタイの良さが衝撃的でした。
その後、モンゴル勢が角界を席巻し始めた頃、「ほらな、オレはわかっていたよ」という気分で、投げられたことを棚に置き、鼻が高かったです。
引退、残念だなー。
2010年2月 8日 16:07 | 中東欧編 |
毎回、生きていくことを後押しされます。
もっとがんばろう。
2010年2月 5日 10:28 | 中東欧編 |
これなら長髪過ぎず、黒くて、自然。モテ・ワイルド!(ちなみに今はボウズ伸びかけです)
そして当日、続々と友達がやって来ましたが、カツラをかぶったら恥ずかしくて人の目が見れない。早々と耐えられなくなり、突っ込まれる前に脱ぎ捨て降参。なんであんなに恥ずかしいんだろう。
2010年1月22日 14:27 | 中東欧編 |
2010年1月20日 15:20 | 中東欧編 |
と今日は思ってます。
2010年1月18日 12:39 | 中東欧編 |
自分はというと、また口が開いている!と子供の頃から叱られ続け、30数年。
知人から鼻呼吸を勧められ、口にテープを貼って睡眠したり、割り箸をくわえたりもしましたが、どうも無意識で口が閉じられません。
電車で起きたら、シャツにヨダレ。バスケのドリブル中に興奮してヨダレ。アイスを口に入れる前にヨダレ。もはや犬です。
鼻呼吸、ウィルス云々よりも、しっかり口が閉じてる人間になりたい!
これは強靭な意志と手段で矯正するしかない、夜だけでなく起きている時もだ!、と思いでっかいガムテープを口に貼りつけ、このブログを書いています。
うーん、しゃべりたい。コーヒーが飲みたい。叫びたい。
2010年1月14日 10:16 | 中東欧編 |
1999年当時、海外で自分の端末を使い、メールなりHPをアップしようと思ったら大変でした。通信衛星を利用するインマルサット通信、衛星携帯電話イリジウム、各国プロバイダーに電話線を介して接続するローミングサービスなどがありましたが、どれも従量課金制で高額なものでした。そのなかでも板状のアンテナを衛星に向かって広げるインマルサットが笑えるかなと思い、実物を見に行きましたが、機材がデカ過ぎで断念しました。結局、一番安いAT&Tのグローバルローミングサービスに加入しましたが、ホテルや宿では接続が難しく、ほとんど役に立ちませんでした。
それが現在では、多くのホテルでWiFiが完備され、部屋からiPhoneで「今、充電器から火がでました!」などと即座にTwitterに書き込みができます。さらに、それを日本で読んだ友達が、ブダペストで充電器を売っている店をネットで探し、数時間も経たないうちに教えてくれるという時代です。
10年後には、一体どうなっているのか楽しみでもあり、不安でもあります。
前回は、ブルガリアで買った自転車でのチャリ旅だったので、僕にとっては休息地という感じでしたが、泊まった宿がよくなかった。
円筒形の高層ホステルで、6階にある部屋まで自転車をフラフラで担ぎ上げ、上のベッドには怪獣のようなイビキをかくギリシア人のおっさん。轟音に耐えるため、頭まで被った毛布には南京虫が寄生。全身ボリボリ掻きながら、決して綺麗とは言い難い洋服で観光するも、物価の高さや重厚な歴史的建物、大人の街的な感じが自分のいるべき場所ではない、と思わせました。
そんな苦い記憶のウィーンで、最も印象に残っているのは、自転車の走りやすさです。車道と歩道から区切られた自転車専用レーンが見事に整備され、走っている自転車もそんなに多くはありませんでした。怪獣から逃れられた喜びと南京虫の痒さをお土産に、ウィーンを荷物満載のボロチャリで一周したのを覚えています。
今回は、中欧編!
と鼻息荒くいきたいのですが、キューバと違い、人の写真はほとんど撮れませんでした。
ヨーロッパの都会的で忙しそうな場所では、写真をお願いすることはなんとも気が引けたのに加え、言葉の壁も分厚く、ドイツ語、チェコ語、マジャール語、ポーランド語と寄った4カ国すべて違う言語。「ありがとう」しかしゃべれないのでは、撮影の突破口は開けん、ということが身に染みました。
そんなわけで、スタート初日から写真の少なさに早くも弱気ですが、今年も1年ウレシカ共々よろしくお願いします!
写真は、ブダペストのバスで会ったおじいちゃん。
蚤の市への降車バス停を聞いたのですが、うまく伝わらず、結局この後2回バスの乗り直し(涙)